kana(仮名)、って英語だったのな。
音節で区切って言葉を表記するってシステムの言語で、他の言語と比べてちょっと特殊な物らしい。
8~9世紀に女性文化の一つとして平仮名・カタカナが出てきたわけだけど、その前ってもしかして、日本語の文章って漢字だけで書かれてたんだろうか?
だとしたら、中国語との違いはどこにあったんだろうか(上に書いたシステム上で)?もしかして同じ?
もし同じだったとすれば、漢字って音節ごとに区切られた言葉じゃないから(例:空="そ・ら"か"く・う"で二音節)、仮名文字の誕生で日本語ってある種の進化を遂げたって事なんだろうか?それが書き言葉の部分だけであったとしても。
だとすれば、日本の文化は女性の影響で一歩前に進む事ができたっていう、男性至上主義を否定する事実を根っこに持った文化ってことになる。
少なくとも仮名文字ができた平安時代から1200年以上の時間をもって、うちらは自国の文化を編んで編んで、編み込んできたわけだから、"ひらがな・カタカナ"っていう女性文化は日本文化の深いところまで根付いてると思う。
それって要は昨今のフェミニズムを「そんなもん無くても男の子・女の子仲良くやってけますって。」と、やんわり否定してるってことだと思う。その存在そのもので。
まぁ、日本でも雇用機会云々で性差があったりとかってのはあるけど、それって元々は古来、男女の元々得意とした分野でそれぞれが毎日の仕事を分担していた(おじいさんは芝刈り:"食料を集めたり、水を引いたり、家族の生命維持に関わる仕事・家の外の仕事"、おばあさんは洗濯:"食事や家族の健康など、家庭内の生活の安定、家の中の仕事")のが、結局行き過ぎた形であるとか、社会や世の中が個人に対して持っているdemandみたいな物の変化でそれぞれが従事するべき仕事の分野の住み分けが変わってきたのに対応できず、今の男女不平等の話みたいなのが生まれてきたんじゃなかろうか。女性にも教養が広がったこと、寺子屋の功罪ってことなんでしょうか。
今じゃ女の人の給料が上がって大抵の物が自分で買えるので、昔に比べて男の人が恋人に贈り物をするのが難しくなってきたみたいだし。
大昔は子供を産める女性をあがめるのが普通で、うまい具合に生活のサイクルの回りがよかったって言うし。
なんか話が大きくわき道にそれましたが、今日たまたま勉強中に辞書引いててそんな事を思いました(syllabary-kana, Webster int'l dictionary.)。
それと、言語のシステム自体に”進化”ってのがあるなら、もしかしたら”地球上で一番進化した言語”ってのがあったり、もしかするとこれから先、また新しい言語が生まれる可能性ってのがあるかもしれないな、と思いました(前者は差別的であんまよくないですけど)。
僕が日大でお世話になっているM坂先生のお話によると、比較文学の始祖とされる論文は、ラテン語を含む七つの言語ができないと解読不能な文章なのだそうです。
現在・過去・未来、それぞれの時代の人と人とをつなぐ為に数千年もかけて人類が紡いできた"言語"。
他者とコミュニケートする為に人類が作り上げてきたもの。「あの人に伝えたい」という気持ちで積み上げてきた努力の結晶。
その物語を体現している"言語”は、その存在自体が"あいのうた"だな、と思いました。